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農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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雨読メモ17/18 『神楽旅』 2018/06/28

5月に田植えしてもうすぐ2か月。稲株がどんどん増えて株と株の間がほとんど見えなくなった。その頃合いを見計らって「中干し」をする。つまり水の供給を絶つ。

どろどろの田を固く締めて、株が増え過ぎるのを抑える。これをやっておかないと稲刈りのときコンバインが泥に埋まって作業に難儀する。中干しというのはそんな様々な効果を考えて行う。

昨日から始めたのだが、じめじめした天気のせいで田んぼの水がなかなか乾かない。34日で済む年もあれば1週間以上かかることもある。年によってオタマジャクシが日干しになることもあるが、今年はもうほとんどがカエルになっている。

3回目の草刈りも終わり、雨音を聞きながら本を読む。

『神楽旅』(石井誠治著・山口印刷・71日刊)

できたてほやほやを著者自ら届けてくれた。中国山地・千代田(現北広島町)で働いていた1980年代に知遇を得て35年。当時、彼は公民館主事だった。いま広告・イベント会社の経営者であり、神楽のプロデューサー。

公民館時代は絵画、写真が好きで、詩を書き、レタリングの腕前も相当なもの。地元のショッピングセンターに併設された美術ギャラリー「森」の企画・展示を手掛けるプロモーターでもある。その彼は県北一帯で盛んな神楽にのめり込み、いまはNPO法人広島神楽芸術研究所の実質的なリーダー。

本書は、彼が神楽とかかわった30余年を綴った半生記である。石見の山村で細々と神楽面づくりをしていた青年を口説き落として千代田に定住を勧めた。これが神楽を文化として定着させようとする彼の取り組みの序章だったと言える。

彼にはもう一つ、神楽を秋祭りの余興から総合芸術に高めたいという野望があった。つまり、神楽を全く知らないお客から入場料をとって、きらびやかな衣装、笛・太鼓のリズム、そして演者の熱演を通して感動を与えようというのだ。

活動が低迷していた中川戸神楽団と連携して、旧来の神楽ファン戸惑わせるような凝った演出の「スーパー神楽」をやってのけ、都市に神楽ファンを広げた。新作神楽「厳島」を手掛け、豊平の琴庄神楽団が演じて高い評価を得ている。

4つの神楽団から演者を選抜するという前代未聞の合同神楽団を組織してロシア公演に挑戦し、サンクトペテルブルグの市民を魅了したこともある。

こうしてみると、彼が裸電球のもと秋祭りの余興として中国山地で連綿と続いてきた田舎神楽を、日本、そして世界の舞台芸術へとグレードアップしたいという願望に、すでに手をかけていることがわかる。

本書には、中国山地でよく演じられる神楽の舞台を訪ねた報告もある。東北から九州まで、車を走らせて地元の人たちの伝承への思いなどを聞き出し、それが中国山地で神楽として根をおろしている背景を感動を込めて綴っている。

神楽旅を続ける彼の歩みは、まだ道半ば。したがって本書も半生記というより中間報告と言うべきだろう。


by shimazuku | 2018-06-28 09:21 | Trackback | Comments(0)