雨読メモ06/17 『経済成長主義への訣別』2017/07/04
医師の指示通り薬を服用して、きょう午後の白内障手術にそなえてきた。片目ずつ1週間おきに手術してもらうので、2週間は少し不自由な日々だろう。というので急いで読んだ本がある。
『経済成長主義への訣別』(佐伯啓思著・新潮選書・5月刊)
日本はもう長いこと不景気が続いているという。僕は不思議に思うのだが、不景気を嘆く人たちにとって、どういう状態になれば心が満たされるのだろうか。「失われた20年」はとっくに過ぎ去った。最近はアベノミクスという言葉もあまり聞かなくなった。
昔から経済が苦手で、その方面にはかかわらずに生きてきた。家計もワイフに任せっきりで、我が家の経済がどういう状態にあるのか詳細はほとんど知らない。ただ人様の世話にならず、迷惑をかけずに生きられればそれでよいと思ってきた。
新聞に月1回、コラムを執筆している著者の文章は欠かさず読んでいる。大学で経済を論じていた人という程度の認識しかないが、かなりへそ曲がりなご仁のようである。その人の著書ということで1か月前に買っておいたのがこの本である。
アダム・スミス、シュンペーター、ケインズという名前くらいは知っているものの、著書を読んだことはない。
「経済成長が人を幸せにする、というのは大きな誤解である」と著者は言う。僕自身も、似たような感覚にとらわれることがあるので、これは見過ごせない。ところが、読み始めたはいいが、少し読んでは止まり、時に後戻りして、最終章でようやく著者の想いにたどり着いた。
日本もそうだが、いわゆる工業先進国は、もう豊かな社会を築いてしまった。これ以上「もっと豊かに」と際限のない欲望を膨らませば、いまある「普通の暮らし」を失うことになる。これが著者の見立てである。
著者の研究を敷衍すると、いくら経営者の尻をたたいても、国民に働き方改革や女性活躍社会を呼び掛けても、景気浮揚効果は期待できない。つまりアベノミクスなど成功するはずがないということになる。タッグを組む黒田日銀総裁の金融政策もしかり。
「昭和元禄よもう一度」は見果てぬ夢であり、日本が目指すべきは「普通の社会」での「普通の暮らし」「そこそこの豊かさ」である、と。つまり「安倍さん、あなたはかじ取りを間違っていますよ」という警告でありご託宣なのだ。
「声なき声」などと訳の分からない名言を残して立ち往生した岸信介。秋葉原の演説で「辞めろ」と叫ぶ聴衆に「こんな人たちに負けるわけにゆかない」と切って捨てた安倍晋三。この二人には広範な国民のことなど眼中にないのだろう。国民不在の国家という為政者の貧しくて悲しい思考を反芻する好著だと思う。