都賀尾ー消えた集落 206/09/06
過日、太田川源流の森(廿日市市吉和町)を歩いた帰り、旧加計町の廃村を訪ねた。太田川の支流丁川(よろがわ)流域には水谷、寺尾、安中など消えた集落が多い。その一つでまだ足を踏み入れたことのない都賀尾に入った。
離合の難しい道路があることは知っていた。しかし、その道が通れるのかどうか、あるいはどこへつながっているのか全く知らないまま車を乗り入れた。はじめは舗装された林道。やがて砂利道になり、夏草が車の側面に当たるひどい道になった。
走ること20分、道のそばに小さな小屋が見えた。さらに走ると別荘風の建物があらわれた。標柱に「ここはわがふるさと都賀尾」とある。荷車の車輪が壁に飾られ、庭の隅に唐臼が並んでいる。唐臼は1戸に1つあったとして、ここには7~8戸あったのだろうか。
長年訪ねてみたかったところだが、もし二つの建物がなかったら、ここが集落跡とは気づかなかっただろう。山の中腹の急斜面。杉、檜の人工林、西側は深い谷を隔てた山並み。どうしてここに集落ができたのか全く想像できない。ここも、南側の山中にある寺尾と同じように銀鉱山の集落だったのだろうか。
旧加計町の町史を調べてみなくては答えは出そうもない。それにしても、ここに別荘風の住まいを立てた人にとって、よほど強い愛着があったに違いない。
いつか、かつての住人を探し出して、話を聞かせてもらおう。
15分ほど付近を歩き回ったあと、どこへたどり着くかわからないまま車で直進した。そして見えてきたのは見覚えのある旧豊平町の塩明(しあけ)という戸数5戸ほどの集落。ここには裏山に実に見事なシャクナゲが咲く家があった。一度だけ見せてもらったことがある。しかし、一家は神戸に出て今は空き家。昨年通りかかったとき、たまたまお盆休みで帰省していた主に聞くと、3年前、シャクナゲは豪雪で折れて枯れたとのこと。
塩明の急な坂道を下り、今度は急な坂道を上って鶉木(うずらぎ)を経て豊平町役場があった琴谷へ出て帰途についた。
離合の難しい道路があることは知っていた。しかし、その道が通れるのかどうか、あるいはどこへつながっているのか全く知らないまま車を乗り入れた。はじめは舗装された林道。やがて砂利道になり、夏草が車の側面に当たるひどい道になった。
走ること20分、道のそばに小さな小屋が見えた。さらに走ると別荘風の建物があらわれた。標柱に「ここはわがふるさと都賀尾」とある。荷車の車輪が壁に飾られ、庭の隅に唐臼が並んでいる。唐臼は1戸に1つあったとして、ここには7~8戸あったのだろうか。
長年訪ねてみたかったところだが、もし二つの建物がなかったら、ここが集落跡とは気づかなかっただろう。山の中腹の急斜面。杉、檜の人工林、西側は深い谷を隔てた山並み。どうしてここに集落ができたのか全く想像できない。ここも、南側の山中にある寺尾と同じように銀鉱山の集落だったのだろうか。
旧加計町の町史を調べてみなくては答えは出そうもない。それにしても、ここに別荘風の住まいを立てた人にとって、よほど強い愛着があったに違いない。
いつか、かつての住人を探し出して、話を聞かせてもらおう。
15分ほど付近を歩き回ったあと、どこへたどり着くかわからないまま車で直進した。そして見えてきたのは見覚えのある旧豊平町の塩明(しあけ)という戸数5戸ほどの集落。ここには裏山に実に見事なシャクナゲが咲く家があった。一度だけ見せてもらったことがある。しかし、一家は神戸に出て今は空き家。昨年通りかかったとき、たまたまお盆休みで帰省していた主に聞くと、3年前、シャクナゲは豪雪で折れて枯れたとのこと。
塩明の急な坂道を下り、今度は急な坂道を上って鶉木(うずらぎ)を経て豊平町役場があった琴谷へ出て帰途についた。
by shimazuku
| 2016-09-06 12:29
| 中国山地
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