農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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読書ノート14 2013/09/22

 『消えた広島-ある一家の体験』(永原誠著・かもがわ出版・2013/09刊・1000円+税)
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 学生時代の友人に頼んで送ってもらった一書。
 タイトルからわかる通り、著者の幼少期から被爆に至る一家の体験をつづった記録である。著者は生前に体験記を書き残し、今年5月、85歳で亡くなった。

 著者が被爆者であり、被爆者運動にかかわっていたことは、学生時代から知っていた。しかし、それ以上のことは何一つ知らなかった。だから、この本が世に出なかったら、ぼくは被爆者としての著者について思いを巡らせることはなかっただろう。

 著者は、ゼミや英書講読を通して、ぼくがアメリカ文学を学んだ恩師である。いまでもヘミングウエイの短編集や黒人作家ラングストン・ヒューズの作品を、先生のよく通る声とともに時折思い出す。

 著者は広島文理大教授・敏夫氏の5人きょうだいの長男として生まれ、付属小、中から広島高校へ進み、2年生の時に原爆に被災した。父はほぼ即死、最年長の妹は学徒動員中に被爆し似島で死亡、そして家族を捜して焼跡を一緒に歩き回った母・嘉子さんも急性放射線障害で亡くなる。さらに大阪の親戚に身を寄せていた9月、末の妹も病死。

 原爆から1ヵ月余りの間にご両親と2人の妹、つまり7人家族のうち4人を失ったのである。長男として、その悲嘆、重荷はいかばかりだったか。父・敏夫氏は当時、国策としてすすめられた東南アジアからの「南方特別留学生」の世話を担当していて、留学生と共に被爆している。全身黒焦げだったといい、ベルトのバックルだけが身元を特定する手がかりだった。

 僕は広島市内から30キロ近く離れた田舎に住んでいて、当時3歳。兄や姉と違って、閃光や爆発音、きのこ雲の記憶は何一つない。そんな僕が記者になって、10年くらい原爆報道に関わった。大学卒業後も永原先生とは同窓会などで再会しているのに、なぜか原爆を話題にしたことは一度もなかった。

 僕の知り合いだった松元寛さん(広島大名誉教授)、現在の平和公園にあった写真館で生まれ育った高橋久さん(比治山大名誉教授)、新見豊さん(元中国新聞論説委員)と先生のつながりも、この本で初めて知った。

 先生の遺稿を手にして悔やみ、ただただ呆然としている。
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by shimazuku | 2013-09-22 17:34 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)
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