読書ノート10 2013/07/04
『幕末 もう一つの鉄砲伝来』(宇田川武久著・平凡社新書・800円+税・2012/09刊)
鑪(たたら)つまり鉄にまつわることなら何でも知りたい欲張りの僕は、本屋さんで「鉄」の字を見ると、つい本を買ってしまう。かつて文明史のジャレド・ダイアモンドが著した『銃・伝染病・鉄』という上下2冊の本を手にしたのも同じ理由からだった。そんな本でも、読み終えると不思議と豊かな気分になれる。
さて本題。著者によると、1543年に我が国に鉄砲がもたらされて以後、砲術は武芸として位置付けられ、さまざまな流派が生まれた。ところが、ちょうど300年後の1853年にペリー艦隊が来航する前後から事態は一変する。幕府、諸藩とも海防のための兵器近代化、軍制改革に乗り出した結果、西洋の銃砲が大量に流入して日本独自の砲術は急速に西洋流に塗り替えられた。これが「第二次鉄砲伝来」である。
「海の守りを固めよ」「軍制を改めよ」という幕府の指令が各藩で実行に移された結果、国内で武力対立が頻発し、1868年には幕府崩壊、明治政府誕生へと進んだ。皮肉なことに、国を守るための武器の近代化や軍制改革が旧体制を瓦解させたのだ。
過日、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を見るとはなしに見ていて、官軍を迎え撃つ会津軍にあって、主人公の八重さんが手にした銃は火縄式ではなく撃鉄で火薬に点火する新式だった。しかし、多くの少年たちが手にする銃はというと先ごめ式の旧式銃。また、大砲も官軍の砲が会津藩の旧式砲を飛距離、威力で圧倒していた。
肝心の本の中身だが、土浦藩の伝統的な砲術が西洋流に飲み込まれてゆく過程を、「関流」を代々受け継ぐ関内蔵助家の累代の日記や資料によって描出している。西洋流に抵抗しながらも、受け入れざるを得なくなる伝統砲術宗家の葛藤とでも言えばよいのか。
僕としては中国山地でつくられる鉄を使って、鉄砲鍛冶がどのように改良を加えていったのかを知りたかったが、そのほうにまで記述は及んでいなかった。幕末のあだ花のように、大砲鋳造のための反射炉が各藩に築かれたのだが、それも素通り。
そもそも鑪製鉄自体が、日本の近代化の過程で衰退したのだから、武器製造の詳細を期待しても無理だったようだ。でも、日本的なるものの行方を考えるうえで得難い体験だった。
鑪(たたら)つまり鉄にまつわることなら何でも知りたい欲張りの僕は、本屋さんで「鉄」の字を見ると、つい本を買ってしまう。かつて文明史のジャレド・ダイアモンドが著した『銃・伝染病・鉄』という上下2冊の本を手にしたのも同じ理由からだった。そんな本でも、読み終えると不思議と豊かな気分になれる。
さて本題。著者によると、1543年に我が国に鉄砲がもたらされて以後、砲術は武芸として位置付けられ、さまざまな流派が生まれた。ところが、ちょうど300年後の1853年にペリー艦隊が来航する前後から事態は一変する。幕府、諸藩とも海防のための兵器近代化、軍制改革に乗り出した結果、西洋の銃砲が大量に流入して日本独自の砲術は急速に西洋流に塗り替えられた。これが「第二次鉄砲伝来」である。
「海の守りを固めよ」「軍制を改めよ」という幕府の指令が各藩で実行に移された結果、国内で武力対立が頻発し、1868年には幕府崩壊、明治政府誕生へと進んだ。皮肉なことに、国を守るための武器の近代化や軍制改革が旧体制を瓦解させたのだ。
過日、NHKの大河ドラマ「八重の桜」を見るとはなしに見ていて、官軍を迎え撃つ会津軍にあって、主人公の八重さんが手にした銃は火縄式ではなく撃鉄で火薬に点火する新式だった。しかし、多くの少年たちが手にする銃はというと先ごめ式の旧式銃。また、大砲も官軍の砲が会津藩の旧式砲を飛距離、威力で圧倒していた。
肝心の本の中身だが、土浦藩の伝統的な砲術が西洋流に飲み込まれてゆく過程を、「関流」を代々受け継ぐ関内蔵助家の累代の日記や資料によって描出している。西洋流に抵抗しながらも、受け入れざるを得なくなる伝統砲術宗家の葛藤とでも言えばよいのか。
僕としては中国山地でつくられる鉄を使って、鉄砲鍛冶がどのように改良を加えていったのかを知りたかったが、そのほうにまで記述は及んでいなかった。幕末のあだ花のように、大砲鋳造のための反射炉が各藩に築かれたのだが、それも素通り。
そもそも鑪製鉄自体が、日本の近代化の過程で衰退したのだから、武器製造の詳細を期待しても無理だったようだ。でも、日本的なるものの行方を考えるうえで得難い体験だった。
by shimazuku
| 2013-07-04 10:37
| 雨読ノート
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