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農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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東電・福島原発の醜態

2011/03/17(木)
 きょうは中国山地を離れて、11日発生の地震について書く。
 先週金曜日、島根県匹見町からの帰り、旧芸北町役場(北広島町役場支所)へ立ち寄ったとき、テレビは名取市に津波が押し寄せている映像をヘリコプターから中継していた。音声なし、ごみと泥が家を包み、ビニールハウスを飲み込む姿に、人間の無力を思った。
 次の日、福島原発1号機の事件。そしてなすすべもなく3号、2号、4号と続く破壊の連鎖である。東京電力は「あれは自分たちの責任じゃありません」といえば済むと思ったのだろうか。現場の破壊の写真(東電撮影)が新聞に初めて出たのはきょう17日の朝刊である。
 1号建屋の上部が破壊されたテレビ映像が流れてから、爆発を認めるまでいったいどれだけの時間が経過したか。職員の退避を「移動」と言いくるめ、会見での肝心な質問には「確認中」とごまかし、火災が発生すれば「消防に通報した」と他人事のように発表する。政府の対応のまずさはひとまずおくとして、電力会社には血の通った人間はいないのか。
 ついでに書けば、「計画停電」という名の「無計画な送電」、あれはいったいなんだ。メディアには「広報が間に合わないのでご協力を」と頼んでおいて、やるといった停電をやらない。鉄道の混乱はすべて東電の責任だろう。国民は停電の不便を甘受する覚悟はできていたのに、「なんだ、電力は足りているのか」と思わせてしまった。
 原発に話をもどす。もう詳しい年代も思い出せないが、チェルノブイリ原発事故から確か4年後だから1990年か、まだソ連の時代、モスクワ、キエフを経て現地に入ったことがある。キエフのホテルを出るとき線量計のスイッチを入れ、15分ごとに線量を記録した。当たり前だが、爆発した原子炉に近づくたびに線量計の針の振れ方は大きくなる。繰り返す。筆者が現地を訪れたのは事故から4年後である。堀を隔てた向こうに「石棺」と呼ばれるコンクリートの塊が見えた。線量計は計測不能。それでも隣の原子炉建屋に入って、担当者から安全、安全、安全と耳にタコができるほど聞かされた。
 4キロ離れたところに原発作業員の都市・プリピャチという4万人が暮らした町があった。学校、遊園地、ショッピングセンター、住宅…。だれもいない都市というのは不気味である。ここで、新しい野菜を開発しているところへ案内された。放射線の活用ということらしいが、たいして興味はなかった。通訳という名の監視役がずっと付き添ってくれたが、彼の通訳も相当なものだった。肝心な質問は通訳してくれない。
 さて、プリピャチの4万人は3日間、何も知らされずにあの町で暮らした。ヨード131、セシウム137をしっかり体内にとりこんだあと、避難した。そして20キロ離れたところに再び新都市を建設した。そこには旧ソ連を構成する共和国が忠誠のあかしとして建てた、たとえば「グルジアの家」「カザフスタンの家」がまるで住宅展示場のように並んでいた。そこからチェルノブイリまで新たに鉄道を敷設し、職員は乗車前後に線量のチェックを受けることになっていた。でもだれもそんな面倒なことをしている様子はなかった。
 福島原発に話を戻す。経営者たちはまさかチェルノブイリを再現したかったわけではあるまい。でも、結果としてそうなるかもしれないくらいは予想したのではないか。ただ、チェルノブイリのように命がけで、燃料プールに注水しようという人がいなかった。別に命をささげよと言うつもりはない。しかし、そうやって最悪の事態を回避しなければという使命感を持った人が東電にはいないだけのことだ。
 モスクワ郊外の墓地で、鎮圧活動中に被曝して亡くなった4人(?)の墓を探した。かれら英雄の墓だけは真新しい花がうずたかく供えられていた。ソ連が解体した後、英雄たちがどうなったか知らないが、あの事故のとき、そういう人がいたことだけは記憶にとどめておこう。
 
by shimazuku | 2011-03-17 10:19 | Trackback | Comments(0)