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農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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「臥龍山」の表記を「苅尾山」に戻そう

2010/09/04(土)
 猛暑で中断していた中国山地の旅を再開する準備を進めている。

 広島でいち早く秋を告げてくれるところといえば、標高700メートルの高原、山県郡北広島町(旧芸北町)の八幡高原だろう。ところで、ここを訪れるたびに気になることがある。なだらかな稜線を見せてくれる「臥龍山」(1223.4メートル)という山の呼称である。地元では「ガリュウ」とは言わず「カリオ」とか「カリウ」と呼んでいる。行楽客への配慮で「ガリュウ」とわざわざ言い換えてくれる人もいるが、地元の人同士では「カリオ」である。

 漢字で「苅尾山」と書く。昨年、島根県立大学(浜田市)女子学生の無残な遺体が見つかった山といえば思い出す人もあろう。地理に詳しい人以外はまずわからない林道に入り、15分くらい走るとちょっとした広場があって、そこにブナ林がはぐくんだ「雪霊水」という湧水がある。そこから10分ほどブナ林を歩くと山頂である。

 さて山の名だが、「苅尾」を「臥龍」と呼ぶようになったのはさほど古いことではない。1939(昭和14)年、この地を歩いた民俗学者・宮本常一が、宿の主から聞いた話として『村里を行く』に、怒りを込めて書き留めている。皇国史観はなやかなころ、講演に訪れた学者が『古事記』のおろち退治にかこつけて「苅尾山」を「臥龍山」に、東に連なる「掛津山」を「掛頭山」に、西の「比尻山」を「聖山」に変えてしまったという。地元民がそれに異を唱えなかったため、1947(昭和22)年版の5万分の1の地図で、それまで「苅尾山」と表記されていたのが「臥龍山」に変更された。以後、国土地理院の地図は、幾度かの改訂にもかかわらず「臥龍」が定着して今日に至る。

 この経緯については元広島女学院大学教授で先年亡くなった桑原良敏さんが、著書『西中国山地』(1982年・渓水社刊)に憤懣やるかたない筆致で記している。西中国山地をこよなく愛した桑原さんは、登山ガイドブックであり西中国山地の博物誌でもある『西中国山地』を出版した後、とうとう「苅尾山」のふもとに山荘を建て、1年の大半を山荘で過ごした人である。

 話がそれてしまった。地元で「苅尾山」と言い、国土地理院と都市からやってくる人たちだけが「臥龍山」と呼ぶ。こんな山も稀ではないか。宮本常一、桑原良敏という2人の故人が憤慨した山名の一方的な変更。地名、山名、河川名など地域に由来する固有名詞は、本来、地元の呼称が最大限尊重されるべきだろう。

 では、国土地理院の地図にある「臥龍」を「苅尾」に戻す手立てはないのだろうか。それが実はある。地図を改訂するとき、国土地理院は地図上の呼称について、必ず地元自治体に照会して変更があるかどうかを確認している。「苅尾」の場合、北広島町が「臥龍」から「苅尾」に改めるよう求めれば、ほぼ問題なく元に戻すことができる。特に「苅尾」の場合、変更の理由がはっきりしており、なおかつ地元・八幡では少なくとも江戸時代の記録から「苅尾」と書き(「刈尾」の文字も散見される)読みは「カリオ」(もしくは「カリウ」)以外にないのだから、役場は照会があったとき、きちんと「苅尾山」と変更を要請すべきだろう。

 ところで、この「苅尾山」、1899(明治32)年まで広島県の最高峰と認識されていた。実際は安芸太田町の恐羅漢山(1346.4メートル)が123メートル高いのだが、なぜかそうなっていた。これも桑原さんんの『西中国山地』に詳しい。

 ついでながら、旧芸北町に「才乙」と書いて「サヨオト」と読む地区がある。ここにバブル全盛期に外部の資本でスキー場ができた。その名を「ユートピア・サイオト」という。読みにくい地名の読み方を勝手に変えてしまう。ここにも地元を軽く見る都市のおごりを感じる。 
by shimazuku | 2010-09-04 21:13 | 中国山地 | Trackback | Comments(0)