農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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雨読メモ22/18 『暗幕のゲルニカ』 2018/09/19

 もう40年も前、1978年の夏休み、僕はひとりになりたくて、ワイフにわがままを言ってアメリカを旅した。旅先の知り合いはただ一人、新聞社のニューヨーク支局長だったWIさん。ご自宅へうかがって驚いた。初対面のはずの奥さんは、高校時代に同じテニス部にいた一年後輩だった。

 食事をともにしながら彼女が言った。「MoMA The Museum of Modern Art, New York(ニューヨーク近代美術館)の<ゲルニカ>をぜひご覧なさい」と。翌日、MoMAに行って壁画のような<ゲルニカ>と対面した。

          ************

雨読メモ21/18 『暗幕のゲルニカ』

(原田マハ著・新潮文庫・20187月刊)

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 1937年、のちに総統となるフランコ将軍を支援するナチス・ドイツがスペイン北部の小都市・ゲルニカを無差別爆撃し破壊し尽くした。パブロ・ピカソは、パリ万博のスペイン館を飾る絵画の制作を求められ、空爆に抗議する長大な作品を描いた。名付けて<ゲルニカ>。

 縦3.5メートル、横8メートル。モノクローム。冷たくなった幼子を抱いて泣き叫ぶ母、折れた剣を手に横たわる兵士、両手を突き上げ空をにらむ人、怒る牡牛、恐怖にいななく馬…。爆弾も鮮血も描かれていないが、画面から戦争への怒りが伝わってくる。

 本書は2つの出来事が交互に描かれる。ピカソの恋人で写真家ドラ・マールの目を通して<ゲルニカ>制作過程とその後の展開をたどるのが1つ。もう1つは、ニューヨークの世界貿易センターが崩壊した2011911テロのあと、国連安保理ロビーに掲げられた<ゲルニカ>のタペストリーが突然、黒幕で覆い隠された事件の顛末を追う日本人女性のひたむきな行動。

 MoMAの八神瑤子はピカソの研究に打ち込む学芸員で、9.11テロで夫を失っていた。アメリカは復讐に燃えてイラク戦争に突入する。そんなアメリカで、ピカソの遺志により長くMoMAで<亡命生活>を送った<ゲルニカ>をもう一度展示しようと奔走する。

 1981年、ピカソの死から8年後、<ゲルニカ>はMoMAからスペインに返還された。作品は「2度と祖国を離れることはない」とされてきた。しかし、「いまこそアメリカで再展示したい」と熱望する八神.。そんな彼女に手を差し伸べてくれたのは、作品の制作過程を知る数少ないスペインの富豪とMoMA創設者の子孫による瀬戸際の折衝だった。

 かくて<ゲルニカ>はテロへの厳戒体制のもと、密かに海を渡りMoMAに「里帰り展示」された。

 史実とフィクションが交錯してはじめ頭が混乱した。<ゲルニカ>誕生物語と思い込んでいた僕は、途中から八神の拉致、謎のような富豪の御曹司とピカソのつながりなどに引き込まれて、一気に読んでしまった。そして、40年前にMoMAで見た<ゲルニカ>を思い出して感動した。

 著者の原田マハさんは『いちまいの絵』(集英社新書)で名前だけは知っていた。でも、ご自身がキュレーター(学芸員)だったとは知らなかった。


 こういう本に出合うと心がほかほかする。原田さん、そしてMoMA<ゲルニカ>鑑賞をアドバイスしてくれたIさんの奥さん、ありがとう。


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# by shimazuku | 2018-09-19 16:07 | Trackback | Comments(0)

ビートル 生産終了 2018/09/15

 今朝の新聞に、ドイツ・フォルクスワーゲン(VW)がビートル(カブトムシ)の生産を来年夏で打ち切るという記事が載っていた。旧型モデルはとっくに生産をやめていたが、2011年から現行モデルをメキシコで作っている。それも打ち切って、カブトムシはもう見られなくなる。

 石油ショックでガソリンが急騰した1973年、僕は安くて丈夫で長持ちしそうな気がしてビートルを買った。トヨタのコロナや日産のブルーバードが110万円だったころ、ビートルは最安値モデルが90万円で買えた。

 リアエンジンでエアコンなし。丸いメーターが一つ、ラジオとシガーライター以外は何の飾り気もなかった。文字通り「動く箱」。空冷エンジンだから信号待ちや渋滞にかかると暖房の温度が下がって寒かった。

 10年余り乗って、走行メーターは99.999キロでゼロに戻った。1983年、中国山地のルポ取材で、全通したばかりの中国道の坂道をアクセルいっぱいに踏み込んで走っていて、軽自動車に追い越された。走行距離が16万キロを超えていたから、無理もない。でも、くやしかった。

 スバルの4WDに乗り換えた。買い替えの時、ディーラーが「10年余り乗ったにしてはあまり走ってないですね」といった。その時、実際の走行距離は16万キロ余だが、メーターの数字は6万キロちょっと。僕はあいまいに「ええ、まあ」とだけ答えた。

 90万円で買って、10年余り乗って下取りは50万円だった。別にディーラーに嘘を言ったつもりはない。でも、いまでも思い出して気が咎める。

 ブルーのボディで、とにかく目立つ車だった。ある町の選挙違反で町議1人を除いて全員が逮捕されるという事件があった。僕が車を乗りつけると、町民のほとんどが玄関を閉ざした。困り果てて、あの事件の最中は別の車を借りて取材した。

 ヒトラーの指示で生産が始まって80年。VW社は化石燃料に頼らない車の開発に全力を傾けるという。車は21世紀の半ばまでに大きく変貌するのだろう。どのメーカーが勝利者になるのか。


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# by shimazuku | 2018-09-15 10:28 | Trackback | Comments(0)

雨読メモ21/18『銃・病原菌・鉄』 2018/09/07

 ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず…。災害文学?の元祖『方丈記』の昔から日本は災害列島だった。ことし6月の大阪北部地震から始まって7月西日本豪雨、9月の台風21号、そして北海胆振東部地震。平成最後の1年は「災害連鎖の年」として記憶されるのだろうか。

 いや情報過多の時代だから、これらが記憶に残るのはそれぞれの被災者の胸の中だけかもしれない。

          ************

雨読メモ21/18 『銃・病原菌・鉄』

 (ジャレド・ダイアモンド著・草思社文庫-上下・2012年刊)

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 2000年に単行本が出版されたとき、「鉄」という文字と「銃を禁止した日本」という言葉にひかれて、いつか読もうと思っていた。手軽に文庫で読めるようになったものの、ずっと書庫に眠り続けていた。

 書棚を整理したのを機に一念発起、読み始めた。小さい文字、持って回った長ったらしい文章表現、加えて一つの段落が長いこと…。それやこれやで幾度か腰が折れそうになった。栞をはさんだまま1週間くらい眠っていたこともある。

 稲穂が出始めた7月半ばから稲刈りを完了した9月初めまでかかって、ようやく読み終えた。

 著者によると、人類の歴史は13,000年らしいが、その間に文明の恩恵にあずかった人類と、いまだに石器時代同然の暮らしをしている人類がいる。その違いはどうして生じたのか。一言でいえば人類史、もう少し丁寧に表現すると、ニューギニアや南米アマゾンの人たちはなぜヨーロッパ的な暮らしを獲得できなかったのか。これが本書のテーマである。

 人類が狩猟・採取生活から食料生産(栽培農業・牧畜)に移行したのは「肥沃三角地帯」(シリア、ヨルダン、イラク、トルコ)と中国(黄河・長江)からだという。それが文字、金属器、品種改良などの技術を生み出し、余剰食糧によって人口増加、役人・軍人の誕生につながり、人が人を支配し、地域を支配するようになった。

 「肥沃三角地帯」の文明は西進してギリシャ、ローマを経てヨーロッパ北部の国々へ受け継がれた。南北に長いアフリカ、南北アメリカは文明の伝播が遅れた。そして現在、ヨーロッパと、そこから移住した人々の地域が人類の主導権を握っている。

 歴史的に広大な国土を持つ中国は、様々な技術を生み出しユーラシア大陸の東に大きな影響力を持ち続けた。ヨーロッパが権力分散型であるのに対し、中国は強大な支配者が君臨し、支配者の一存で政策が決まるという特徴を持つ。成功も大きいが失敗も大きい。長い停滞の時代を経て今日がある。

 東西に長いユーラシア大陸は様々な技術の伝播がスムーズに進んだ。南北に長いアメリカ大陸、アフリカは地形、気候などの違いが大きく技術の伝播に時間がかかり、熱帯をはさんで断絶が起きる。オーストラリア大陸は他から隔絶した地勢と特異な植生、野生生物の分布、さらに広大な乾燥地帯のために他地域からの移住が始まるまで文明の恩恵を受けにくかった。

 自分流に要約すると、こんなことが書かれている。『文明の衝突』の著書もある著者は、もともと医学を修めた学者。長ずるに及んで関心領域がどんどん広がり、学際的な研究で知られるようになった。

 タイトルは、ヨーロッパが世界に影響力を広げたのは「武器」と、「鉄」を起点とする技術革新、そしてコロンブス以来新世界に持ち込んだ伝染病によるというのが著者の理解。

 それにしても大変な一書だった。読み返すことはおそらくあるまい。


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# by shimazuku | 2018-09-07 18:40 | Trackback | Comments(0)

雨読メモ20/18『任侠書房』ほか 2018/09/01

 もうかれこれ2か月近く「雨読メモ」から遠ざかっていた。猛暑とか草刈りとか、本を開くような心境になかったこともあるにはある。でも本と縁を切っていたわけではない。難解な文庫本の上下2冊に難儀していること、そして余りにも奇想天外な文庫3冊にド肝を抜かれたこと、これらが「雨読メモ」が書けなかった一因だということにしておこう。

 奇想天外な文庫。それは組員たった6人のヤクザが、つぶれかかった出版社、高校、病院を、持ち前の任侠精神で立ち直らせるというシリーズである。肩の凝らない本を、というので衝動的に買ってしまった。買ってしまったのでついつい読んでしまった。

          ************

雨読メモ20/18 『任侠書房』『任侠学園』『任侠病院』

(今野敏著・中公文庫・200715年刊)

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 義侠心の権化のような親分・阿岐本雄蔵のもと、人一倍忠誠心の強い代貸(ナンバー2、関西ヤクザの世界では若頭というらしい)の日村誠司、けんかがめっぽう強い三橋健一、元暴走族にして親分の車の運転手・二之宮稔、パソコンオタクの元ハッカー・市村徹、女たらしの天才で下っ端の志村真吉。

 困った人を見かけるとほおっておけない性格の組長、彼と兄弟杯をかわした永神組の組長が債権のとりまとめで手に入れた神田の出版社の再建を頼み込まれる。ヤクザでありながら文化人願望を抱き続ける阿岐本組長は、出版社の社長として乗り込み、部下を役員にしてしまう。

 債権の取り立てならお手のものだが、社長(組長)以下だれも出版のことなどちんぷんかんぷん。パソコンオタクがまず出版界のトレンド情報を収集。グラビア週刊誌に光明ありというので、女性にもてもての志村の手腕で女性編集長を口説き、モデルをたらしこんでトレンディな雑誌を発行する。

 これが見事に当たって社運が上向きになり、さらに業界つまりヤクザの世界の内幕もので業績を伸ばす。とまあ、こんな調子で再建を果たすとさっさと手を引いてしまう。

 次のシリーズ『任侠学園』は、荒れた私立高校の立て直し。学園理事長に就任した阿岐本組長は、高額寄付で学園を牛耳る一派に対抗して、「生徒はみな舎弟」という精神で生徒を味方につけ、さらに正義感の強い教員を巻き込んで再生を果たす。

 『任侠病院』は、まず薄汚れた病棟を部下たちの献身できれいにする。そのうえで病院の清掃、食事、消耗品の納入を一手に握って暴利をむさぼる業者(実はヤクザの裏稼業)と対決して勝利するというストーリー。

 どの作品も、言ってみれば企業再生の物語だが、それを担うのがヤクザという着想がユニーク。しかもわずか6人の組員の個性を巧みに生かしている。パソコンを駆使して業界の動向を探ったり、女性事務員や看護師を言葉巧みに味方につけたり…。

 外見はヤクザそのものながら精神は「不正義を許さない」というか義侠心というか、そういう位置づけだから、読んでいて小気味よい。10日くらいかけて読むつもりが3冊を3日で読み終えてしまった。



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# by shimazuku | 2018-09-01 10:30 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)

チキンラーメン60年 2018/08/27

 過日の新聞にチキンラーメンが発売以来60年になるという記事が載っていた。安藤百福さんが試行錯誤の末、1958年に創出したあのラーメンである。

1960年、一寸法師よろしく京にのぼった僕は、チキンラーメンのお世話になった。130円か40円。どんぶりに入れてお湯を注ぐだけという、まさにインスタント食品の代名詞だった。

下宿仲間と、いかにおいしく食べるか工夫した。近くの市場で卵やネギ、もやしを買ってきた。ただ湯を注ぐだけでなく湯を沸かすヒーターにどんぶりをのせて熱々ですする。

おいしかった。食パンと一緒に食べると、けっこう腹の足しになった。

あのころ京都では学生が大事にされていたように思う。学生服を着ていたから、昨今と違って市民が「学生さん」を見間違えることはない。学生服を着たお客に割引の優遇をしてくれるトン汁屋があった。ご飯つきで一杯40円。この店にもお世話になった。

いま京阪電車のターミナルになっている出町柳は当時、京大、同志社、立命館からほぼ同じ距離にあって下宿や寮が多かった。深夜、屋台のラーメンを食べに来る学生でにぎわった。カランコロンと下駄を鳴らして食べに行くのが楽しみだった。

6月、同窓会のとき久しぶりに歩いてみた。10人で満席になったトン汁屋はもうなかった。かつて市電が行き交った出町交差点はしゃれた店が並んでいた。

時にチキンラーメンを食べてみる。麺に卵を入れるくぼみがあるのが昔と違うくらいだが、あまりおいしいとは思わない。そういえばトリスをコーラで割って飲むコークハイもあのころ学生の間ではやったなあ。


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# by shimazuku | 2018-08-27 06:22 | Trackback | Comments(0)