雨読メモ 『大久保利通』 2018/04/24
雨は何日ぶりだろう。休耕田や農地ののり面、果樹の周りなどは草刈りを済ませてある。つくる水田は大型連休中の田植えに備えて粗代掻きも終えている。月末に植え代掻きをする。
ジャガイモの芽が出た。霜が降りることもなく生育は順調。グリーンピースもイチゴも問題なし。夏野菜の苗が苗床で育っている。トマト、キュウリ、スイカ、ナス、トウモロコシ、ピーマンなど。トマト、スイカの雨よけハウスも建てた。あとはビニールを張るだけ。
山すそを彩っていたツツジもほぼ終わり、フジの花が緑に映えている。昔はフジの花を見ることは稀だった。幹に巻き付いて杉や檜を枯らすから、蔓を見かけたら必ず切ったものだ。最近はだれも山に入らないからフジも伸び放題。結果、花が目立つようになった。
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さて、今年に入って明治維新関連の本をかなり読んだ。先日も『明治史講義』という新書を2冊買った。人物編とテーマ編。まだ一度も開いていない。書庫に『廃藩置県』という新書があるのに気づいた。いつ、なぜ買ったのか記憶にない。
『大久保利通』(毛利敏彦著・中公新書・1969年初版/2017年28版)
大久保といえば西郷隆盛の3歳年下の親友、西南戦争では敵味方に分かれて戦った、という程度の知識しかない。西郷は敗戦に伴い明治10年9月に自刃し、大久保は翌年、東京で民権派士族6人に斬殺された。
大久保や西郷は、開国論者である藩主・島津斉彬の薫陶を受け、斉彬亡き後は久光に仕えて幕末・維新の立役者となった。ある時は武力を背景に、ある時は理詰めで、幕府を崩壊に導き、新政府をけん引した。
そうした激しい動きの中で大久保は、ことを論理的に進め、自らの思いを成就するために反対派や慎重派を説得するのに才能を発揮したようだ。これがダメなら次善の策、それもダメならさらに…といった具合に、とにかく相手の懐に飛び込んで、辛抱強く自説を通すことに力を尽くした。
それを支えたのは偏見のなさとでもいうのだろうか。本書によると、同じ維新の功労者である長州の木戸孝允が、理想に燃えつつも自藩への思いや人脈、功名心にとらわれていたのとは対照的だったという。
大久保は明治4年、岩倉具視を全権大使とする欧米使節団に加わって1年半の旅をした。欧米に触れた大久保は殖産興業、つまり国力とは経済力であることを思い知り、帰国後にそれを実行に移す。留守中の政府を預かった西郷は数々の新政策を採用しながら、自らが信じる「力」への思いを捨てきれず、大久保との距離が広がった。
明治という時代は藩閥政治と言われつつも、薩摩は大山巌や東郷平八郎といった軍人が記憶に残る程度。これに対して長州は伊藤博文はじめ多くの首相を輩出し、その尻尾はお友達を重用する現在の安倍政治につながっている。
この薩摩と長州の違いをぜひ知りたいものだ。