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農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
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『焼畑雑考Ⅲ』 2012/09/07

『焼畑雑考Ⅲ-中国地方にはなぜ焼畑が少なかったのか』
(松本繁樹著・静岡新聞社・1500円+税・2012/03刊)
『焼畑雑考Ⅲ』 2012/09/07_d0165740_97043.jpg
 著者(静岡大名誉教授・地理学)が高校の先輩だという知人から届いた一書。目次を開いてサブタイトルの意味がようやくわかった。日本列島に1950年代まで続いた焼畑を研究した著者が、自らの出身地である中国山地にはどうして焼畑文化が定着しなかったのかという疑問を解き明かしたのが本書である。
 結論から言うと、中国山地は弥生後期もしくは古墳時代に鑪(たたら)製鉄が始まった結果、山林を鉄生産の場として利用したため、焼畑が根付かなかったというのである。加えて、瀬戸内沿岸で製塩が盛んに行われ、燃料として大量の薪を使ったことも、焼畑の展開につながらなかった要因だという。
 本書は、その結論を証明するため中国山地の製鉄史をひもとき、製塩業の歴史をたどる。鑪製鉄は原料の砂鉄を得るため山を掘り崩し、風化花崗岩にわずかに(0.3~3%)含まれる砂鉄を採取した。その採掘量は膨大であり、山の地形を大きく変えたばかりが河口に大量の土砂を堆積させた。一方、砂鉄を還元して鉄を得るために大量の木炭が生産された。木炭の生産は森林の植生にも影響を及ぼし、繰り返し木炭用の広葉樹を伐採したため、乾燥したやせ地にアカマツ林が形成された。人間による山林への干渉は、鉄のみならず瀬戸内沿岸の製塩の燃料需要でも繰り返された。
 かくて中国山地の南面、つまり山陽側はアカマツが支配する林相に変わり、それが例えば広島県が「マツタケ王国」と呼ばれる原因となった。
 焼畑研究の分野から中国山地をとらえると、著者の言うとおり、山林を食料生産の場として利用しにくい状況に置かれていたことは確かだろう。ただそれは、製鉄史あるいは生活史から見ると、特別に目新しいものではない。
中国山地でも鉄生産に不適だった地域では焼畑が行われていた。例えば砂鉄資源が少ない西中国山地の太田川(広島県)、高津川(島根県)、錦川(山口県)の源流域には焼畑の伝承が今日に受け継がれている。雑穀(ヒエ、アワ、ソバなど)、製紙原料のミツマタを育てる山林の焼畑体系が確立されていたことは、西中国山地の町村誌、民俗誌に記録されている。
 中国山地において製鉄や製塩と焼畑の関係を立証するには、焼畑が行われていた中国山地の地質、地形と、行われなかった地域の地質、地形とを対比させる必要があったのではないか。そうすれば、中国山地の焼畑分布が希薄であることの理由を際立たせることができただろう。(週1回程度更新します)
by shimazuku | 2012-09-07 09:10 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)