人気ブログランキング | 話題のタグを見る

農業収入ゼロの百姓が気ままに綴る日々
by shimazuku
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

『喜多川歌麿女絵草紙』  2024/02/17

立春を過ぎたからといって、こんな暖かさが本物とは思えない。まだどこかに「冬」が逆襲の機会をうかがっているに違いない。そりゃそうだ。このまま春になったら冬将軍様の沽券にかかわる。

藤沢周平著『喜多川歌麿女絵草紙』(文春文庫・2012年新装1刷)

旧装版が書庫にあるのにあとで気づいた。また同じ本が2冊になった。記憶力が日に日に減退するのを自覚する。もう、こういう経験にも驚かない。さらに告白すると、読み終えてもまだ、これが既読書であるという記憶すら消えていた…。

美術には格別うとい僕が、一気に読み終えた作品。とりわけ、6編の小品のうちラストの「夜に凍えて」は、藤沢の真骨頂ともいえる細やかな文章だった。妻を失った歌麿が、14歳で弟子入りし、結婚、離婚のあと再び弟子に戻った女性に寄せる想いが、せつなくも美しい。

その女弟子との再婚を考えないでもなかった歌麿が、突然、彼女から商家の子連れ旦那への再嫁を告げられた驚き、失望。同じころ、版元・蔦屋重三郎から「最近の作品は、描く女の顔が同じだ」と面と向かって指摘された悔やしさと自責。老境を目の前に、自らの迷いと、生業への壁に直面し苦悩する絵師の心の襞。藤沢は、それを化粧筆で撫でるように柔かい筆遣いでつづる。

そういえば、引っ越し魔とうたわれた葛飾北斎を弟子の目で見て書かれた新作(作者・題名が思い出せない。確か卍という文字がタイトルにあった)では、謎の絵師・写楽は、世を忍ぶ北斎だとされている。一方、藤沢作品の写楽は謎のまま、細身の若い絵師として描かれる。二人の著者に共通するのは版元・蔦屋が幕府からの弾圧による苦境打開の奇手として写楽の役者絵を世に問うたという見方。

どちらにせよ蔦屋重三郎という男、絵師はもちろん、山東京伝、滝沢馬琴など今でいう小説家を育てて江戸庶民文化をはぐくんだ稀代の人物ではある。彼の評伝を読んでみたい。


# by shimazuku | 2024-02-17 21:24 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)

『ナマコの眼』  2024/01/29

前にもブログに書いたことがあるが、書店で買い求めたきり読むことなく書棚におさまっている本がけっこうある。よほどのんびりした時でないと、読むことはない。といって、目にするたびに、本に申し訳ない気分になる。

鶴見良行著『ナマコの眼』(ちくま学芸文庫・19936月刊)

20行足らずのあとがきに198911月とある。文庫版の奥付が1993年だから、買い求めたのはもう30年以上前。本好きの先輩が「おもしろいよ」と勧めてくれた。以後、ずっと書棚に眠り続けていた。

ナマコの密漁が時折ニュースになる。中国では干しナマコが珍重され、高値で取引されるらしい。どんな料理なのか、見たことも食べたこともない。我が家で久しぶりにナマコを食べながら、ふと中国料理に興味がわいた。

本書を読んでも、結局どんな料理なのか分からずじまい。ただ、干しナマコを戻してゼラチン状に加工した料理は、中国で古くから宮廷料理など貴人に供されたものであることだけわかった。酢ナマコしか知らない僕など、とても目にすることはなさそう。

著者は、アジアの決して豊かでない漁業者が採取と加工(乾燥)を担い、中国で高級食材となっているという「落差」の大きさに興味をもって長年にわたって現地を歩いてきた。

オーストラリア北部、インドネシア、フィリピン、ニューギニア、パラオ、韓国、日本(瀬戸内海、伊勢・志摩、能登、北海道)。欧米中心の市場経済とは一線を画し、しかも中世、あるいは古代から流通ルートが形成され、その最前線に位置する漁業者(アボリジニ―、江戸時代のアイヌ、日本支配下の朝鮮)は差別にさらされ、搾り取られてきた。

淡々とした記述を通して、アジアの一つの歴史を教えられた。鶴見さんには『バナナと日本人』『マングローブの森』などの著書もある。


# by shimazuku | 2024-01-29 14:39 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)

見え見え バレバレ  2024/01/20

国を率いるトップたるもの、次の一手を素人に見透かされるようではリーダーとは呼べないだろう。その一手の結末まで完全に読まれてしまって、もう手のつけようがない。

東京地検特捜部が自民党派閥の裏金問題にメスを入れ、中途半端な幕引きをした。「あれは党ではなく派閥の問題」とタカをくくっていた岸田総理・総裁が、火の粉が自らの派閥・宏池会に及んで打った手は、大方の予想通り、伝統ある?派閥の解消だった。

安倍派、二階派に先んじて解消を宣言し、渦中の2派も道連れにして、ご本人は晴れやかな顔をして見せた。でも、メディアはすべて、派閥解消に懐疑的というか否定的な見方で一致している。

それはそうだろう。過去、幾度となく派閥は解消された。しかし、例外なく生き返っている。派閥の力学こそが自民党政治の源泉。その派閥を支えてきたのは親分の集金力とポスト配分である。最大派閥の安倍派は、リーダーが不慮の死を遂げて以来「五人衆」が覇を競うはずだったが、そのスケジュールが崩れてしまった。

悲しむべきは、自民党がごたごたしていても、代わって政治を担う野党が育っていないこと。自民党を割って下野した長老の発言力が残っていたり、自民党の亜流のような政党しかない現状では、緊張感も薄れてしまう。

日本は経済面で負の連鎖に陥ってもがいている。もがきながらも交際情勢は刻々と動き、アジアも中国の動向次第で大きな混乱は避けられまい。21世紀後半を見据えた日本の政治をだれに託すのか。プーチンやトランプのような人物が日本に現れないよう、確かな目を持ちたい。


# by shimazuku | 2024-01-20 11:30 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)

マイカー1か月ぶり「退院」  2024/01/07

自らの不注意で灯油1缶が漏れたマイカー。修理が終わって1か月ぶりに戻ってきた。不慣れな代車の軽自動車に戸惑いながら、待つこと久し。これでやっと日常をとりもどした。

能登半島地震の映像に建物の下敷きになったり道路の亀裂に挟まれた車を見るにつけ、車のありがたさをかみしめる。車検も同時にすませたので、これでさらに2年、マイカーのお世話になろう。

運転免許をとったのが京都の学生時代。自衛隊上がりの同級生が、アルバイトで教習所の指導員をしていた。あのころはのんきな時代で、指導員があいている時間は無料で運転を教えてくれた。

隣にあった試験場では、筆記試験は曜日ごとに同じ問題だった。それも指導員がそっと知らせてくれて、構造や法規の答えは丸暗記。で結果は、筆記試験も実技も一発で合格。初めての免許証は京都府公安委員会からいただいた。

当時、マイカーを持つなど夢のまた夢。ところが学校を出て4年目には中古ながらマイカーを手に入れた。もう目にすることもなくなったが、僕の第一号車はスバルのあのテントウムシ。それからドルショック、オイルショックの超インフレ時代、失われた10年などデフレの時を経て、どれほどの車に乗ったことか。

おそらく今乗っている車が最後になるだろう。修理に出ている間に乗った軽自動車。警告音やら警告メッセージやら、親切なようでおせっかいな車にはもう乗りたくない。


# by shimazuku | 2024-01-07 15:06 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)

『サピエンス全史』上下  2023/12/23

師走のこの時期、除雪車が出動するほど大雪になるのは稀なこと。加えて修理中のマイカーの代車が慣れない軽自動車とあって、雪道を走るには勇気がいる。そんなわけで外出を控え、こたつに潜り込んで、ひたすら読書と相成った。おかげで上下合わせて800㌻近い文庫本を、自分でも驚く速さで読了した。ただし、完全に読みこなしたわけでは、ない。

『サピエンス全史』Y・N・ハラリ著、柴田裕之訳(河出文庫)

著者は1976年エルサレム生まれの47歳。オクスフォード大で博士号を取得し、現在ヘブライ大学歴史学教授。ヘブライ語初版2011年、英語版が2014年に出版され、本書は英語版からの翻訳。訳者によると、これまで30か国以上で刊行され、世界的なベストセラーになったという。

ホモ・サピエンス(賢いヒトの意)は、アフリカ大陸の片隅で細々と生きていた生物の一つ。それが21世紀の今日まで、どのような道筋をたどって食物連鎖の頂点に立ち、厚顔にもいかに地球を支配するに至ったか。

ハチやアリも見事な社会を形成している。だが彼らの行動は遺伝子に組み込まれたものであり、柔軟性を欠く。オオカミやチンパンジーは柔軟だが身近な親しい仲間としか協調しない。しかしサピエンスは、見知らぬもの同士でも柔軟に対応し、協調する能力を身につけている。

サピエンス独自の能力の源は、この「柔軟性」と「想像力」だと著者はいう。伝説・神話や神々・宗教を生み出し、それらを共有するものならだれもが協調する柔軟性をもっており、仮に虚構であっても協調をいとわない。

サピエンスはほかの動物と同様、長く狩猟採集によって命をつないできた。それがやがて地球上に生息域を広げ、最も危険な生き物と化し、農耕というほかの種にない生き方を獲得して、定住、人口増、都市化へと進む。この農業革命が決定的な役割を果たし、地球の征服者となった。

神話と宗教によってすべてを克服してきたサピエンスは、ある時「無知」を発見する。科学革命がおこり、地球が天体の一つであり、球形の物体であることを突き止める。

未知の大陸に生息域を広げ……生物を絶滅に追い込み、先住民を滅ぼし、有用な資源を消費する。消費によって引き起こされる自然界の変化、生態系の変化…。それらが引き返せない変化であるかもしれないことを知りつつ、なおも消費を続ける。

著者は文庫版のあとがきで「AIと人類」と題して警告を発している。「AIは、物語を語る技術を身につけることで、人間の文明のオペレイティング・システムをハッキングした。これが人間の歴史の終わりにつながる可能性は十分考えられる。歴史の終わりではない。――人間が支配してきた時代が終わるに過ぎない」

AI(人工知能)という一つの技術が何をもたらすか。農業革命、科学革命を経て人類がたどり着いた、単なる一里塚に過ぎないことを祈ろう。

# by shimazuku | 2023-12-23 11:10 | 雨読ノート | Trackback | Comments(0)